お疲れさまでーっす。カウンターと厨房を突っ切りながら挨拶すると、同じように返ってくる。それを耳にしながら更衣室に足を踏み入れた。途端に疲労を実感し、深く息を吐く。今日はなかなかの混み具合だったなとロッカーを開けて再度息を吐いた。
そのままメールをチェックしていると更衣室のドアが開いて、同じホールスタッフの先輩である宮地さんが入ってきた。お疲れさまでっす。さっきより幾分控え目に挨拶すると、おー、とだけ返ってきた。

「あれ、宮地さんあがりっスか?」
「休憩」

ロッカーを開けて何か探してるのを見るに忘れ物だろうか。横目で見ながら私服に着替え始めると、高尾、と名前を呼ばれた。

「はい?」
「…なんでもねえ」
「なにそれ」

笑いを含むと睨まれたが、いつもはほとんど雑談なんてしない(バイト中は超怖い)宮地さんに話しかけられて、俺はたぶん少しばかり調子にのったんだと思う。宮地さんに近寄って顔をのぞき込み、なんなんスかー?と声を掛けると宮地さんの眉間の皺が増えた。
これくらいにしとかないとまた怒鳴られると判断して身体をひこうとした。だけどそれより宮地さんが俺の肩を掴んでロッカーに押し付ける方が早かった。

「へ?」

間抜けな声は重ねられた唇に消えた。
時間にすればほんとに数秒だったと思う。だけど状況を把握しきれなかったその間はものすごく長く感じられた。

「じゃあな」

ゆっくりと唇が離れて、宮地さんはそのまま更衣室を出ていった。残された俺はというと、ロッカーを背にずるずると座り込むしかなかった。
………いや、じゃあな、じゃないっしょ。




hell no !
ありえねー!



宮地さんにキスされてから2日後。未だに軽く混乱したままバイトに向かう。今日も宮地さんとシフトが被っていて、正直、行きたくない。
フロアに出て、席の状況を確認していると後ろのカウンターから声がかかった。

「高尾くん、これお願いします」
「はいよー。つか黒子久しぶりだな」
「試験だったので」
「ふーん」

料理と卓番を確認してからフロアに足を向けると見慣れた金髪が視界に映った。小さく会釈をしてすれ違う、その数秒でありえないくらい心臓がばくばくと音をたてた。

「お待たせ致しました」

深呼吸してから注文されたテーブルに料理を出す。すっかり染みついた動作に言葉、笑顔は心の中が穏やかでなくとも出てくるから楽だ。
カウンターに戻るまでに空皿を回収したり、テーブルウェアを整えながら、なるべく宮地さんとすれ違わないように気を配った。…当然ながらそうすることで体力的にはなんら問題はなかったが、精神的にいつもの3倍は疲れた。バイト終盤は宮地さんが上がった後だったから楽だったが。

「お疲れさまでーす」

いつもより長いバイト終わり、更衣室に入ると少し前に上がった黒子が着替えてるところだった。

「お疲れ様です、高尾くん」
「お疲れー」

ロッカーを開けてメールをチェックしていると、高尾くん、と名前を呼ばれた。言わずもがな、黒子にである。

「宮地さんと何かあったんですか」
「ぶっ…!!」

ガン、と音をたててアイフォンが更衣室の床に落ちた。

「…図星ですか」

ケースが割れていないか確認しながら、そうだよと返事をする。
黒子は意外と人を見ている。影が薄いこともあってかその視線にはなかなか気づけないことが多い。それにしてもやっぱりあからさまだったか、と少し後悔した。後悔したが、いつも通り宮地さんと接することなんて無理に決まっていた。から、しょうがない。

「しょうがねーんだよ」
「何がですか」

着替え終わった黒子が怪訝そうに俺を見る。こいつ俺がおかしいのに気づいたくせにそのことにこれっぽっちも興味持ってねえし。そこが黒子らしいとこなんだけど。

「……よし、ちょっと付き合え、黒子」

無言で拒否を訴えるのを無視して(後ろから殴られた)、黒子を引きずって近くのマジバに入ってバニラシェイクとコーラを注文すると流石に諦めたのかため息を吐かれた。
席に座って一息つくと黒子が話を促してきたが、ほとんど考えなしに黒子を連れてきてどこから話そうか考えてる間にこいつに話すことが無性に恥ずかしくなってきていた。話の内容が内容なだけに。軽蔑…は、しなさそうだけど。

「宮地さんに告白でもされましたか」
「!?ばっ…!」
「あれ、当たりですか」

突然の黒子の発言にコーラをふきかけて、汚いですね、と顔を顰められたがお前のせいだっつーの!…という反論は炭酸で咽て言葉にならなかった。ちくしょう。

「別に告られたわけじゃねーよ」

話さなければこいつを引きずってきた意味がないと腹をくくって事の成り行きを黒子に話した。話を一通り聞いた黒子の感想は、そうですか、というあっさりしすぎたもので、軽蔑されるとかそんなことを思っていたわけでもないが…なんていうか、拍子抜けした。

「それで?」
「あん?」
「高尾君は宮地さんとどうなりたいんですか」
「どう…って言っても、なあ」
「宮地さんのことが嫌いなわけではないんでしょう。むしろ……」

その先は黒子が言うまでもなく自分の中で答えが出ていることだった。

「…俺さあ、バイト入ったときの教育係が宮地さんだったんだけどさ、あの人ほんっとこえーの」
「知ってます。僕の教育係も宮地さんでしたから」
「指導してるときの顔とかちょーこえーのに、客の前だと笑顔じゃん。しかもイケメンだろ。何あの人詐欺!とか思ってたわけ」
「はい」
「言ってることは物騒だけど、でも、あの人結構…優しいんだよ、なあ…」
「そうですね」
「…はあああああ……」

答えが出てしまったから、このままの状況でいいわけがない。やっぱ腹くくるしかねーか。氷が融けて少し薄くなったコーラを飲み干すと、もういい時間だったからそのままふたりでマジバを出た。

「フラれたら慰めて、テッちゃん」
「嫌ですよ。それよりその呼び方やめてください」
「ひっでーなー」

明日のシフトも確か宮地さんとかぶっているはずだ。
今日のバイト前の重い気分はすっかり消えていて足どりは軽かった。


この前と同じでなかなか忙しかったバイトもあがる時間になり、お疲れ様でーすとカウンターと厨房を突っ切って更衣室に入った。少し急いだのは、宮地さんが思ったより早く休憩に入ってしまったからだ。真っ直ぐ休憩室に向かえばよかったけど、なんとなく、更衣室にいるような気がしていた。

「…お疲れ様っス、宮地さん」
「ああ…お疲れ」

勘が当たって宮地さんは更衣室にいたが、アイフォンを弄っていた手を止めるとロッカーにしまって、そのまま更衣室のドアに足を向けるものだから慌ててその腕を掴んだ。

「この間のことで話があるんですけど」

柄にもなく、緊張していた。バイト後の疲労も重なってじわりと汗が滲む。

「回りくどいのめんどいんで、直球で聞きますけど」

なんで俺にキスしたんスか。
ほんの少し宮地さんの目が見開かれて、そして逸らされた。別に、とそっけなく返されて、この人がなかったことにしようとしていることに気づいた。俺が宮地さんのことを嫌いだったならそれで良かった。でも、違う。これが宮地さんの優しさの上での行動でも、もう今更、なかったことになんてさせない。

「あれから色々考えたんスよ。宮地さんイケメンだけど、言うこと物騒だし怖いし男だし正直ありえないって思ってたんですけど」
「…お前喧嘩売りに来たのか?ああ?買うぞ?」
「褒めてんじゃないっスか!」
「ど・こ・が・だ!」
「って、そこじゃなくて!」

話が脱線しかけたのをなんとか戻して、手で頭をおさえて溜息を吐く宮地さんに抱きついた。

「今更、俺の気持ちまでなかったことにしないでくださいよ」

ぎゅう、と腕の力を強める。沈黙が支配したのは数秒、その後宮地さんがもう1度大きなため息を吐いたかと思うと俺の後頭部と肩に腕がまわされた。

「一回しか言わねーからな」

お前が好きだ、高尾。





うっかりキスしちゃったけど、高尾ちゃんを自分の欲で動かしたかったわけじゃなかったから身を引いたけど高尾ちゃんのがちょっとだけ上手でしたって話。